文月 悠光
がらんどうの夜、
土は息をひそめて
わたしが芽吹くのを見ていた。
まっすぐな根を持つから、
花は咲くことをやめないのでしょう。
ここへ来た理由もわからないまま、
きみを迎え入れてしまう。
心臓が春へうたいかけている。
あの知らせは本当かしら。
わたしが色づいている、というのは。
ふっくらとした踵(かかと)で
この空白の地を匂やかに
歩き出そうとしている、というのは。
果たして本当なのかしら。
風の去った今では、
春の素顔をだれも知らない。
立ち尽くすわたしたちの目のなかを
花びらが淡く流れていく。
その拍手の手をこじ開けて
きみの名前を吹き込もう。
きみが生まれたことを、
きょうに目覚めたことを、言祝ぎたい。
目にしたものから順に愛してしまう、
そんな邪悪な素直さで
きみを春色に染めつくす。
おめでとう。
こっくりと、この喉を通る朝焼け。
(初出:資生堂「花椿」二〇一七年夏号)
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